社会では無いものを社会だと思わせて社会を消滅させる手口
- 社会とは何か?
- 学校では社会をどのように定義をしているか?
- 社会では無いものを社会だと思わせて社会を消滅させる
- 世の中の不思議な動き
- 学校の先生の価値観はルールを守ることが社会
- 今社会が消滅していることに気付いていない女の子が命を落としています
こんにちは。
どこから説明をしていいのか、悩みますね。ホント。
前回は『女性を守れないと社会が消滅する』というお話をしました。
今回も『社会を消滅させることのできる手口』のお話です。
社会とは何か?
みなさんは、社会とは何だと思いますか?
あまりちゃんと考えたことは無いと思います。
漠然と「こんなものかな~」と思っているくらいで。
学校では「自分で考えよう」とか、「自分の意見を持とう」とかいいつつ、こういう大事な所は子供達に押し付けているので、社会とは何かと聞かれても、すぐには出てこない人が多いのではないかと思います。
社会の定義については、あとでみなさんも各自良く考えておいてください。
学校では社会をどのように定義をしているか?
学校で子供達に教える社会の定義は、文部科学省のサイトに行けば分かると思います。私が見たのは道徳関係のページだったと思いますが、そこに書いてある内容が学校で教える社会の定義であっていると思います。
分かる人には分かるのですが、そこには社会を壊すための罠ワードがぎっしりです。全部を説明するのも良いのですが、それを説明しだすと長くなりすぎるので今回は省きます。
学校の社会の定義は『ルールを守ること』
一言でいうと学校では社会を何と定義しているのか。
それは『ルールを守ること』なんです。
スポーツがなぜ教育の一環として扱われているのか。
それは『ルールを守ること』これがあるからなんです。
文部科学省のサイトで確認したわけじゃないですけどね。
でもこれは大きな理由の1つとして入っているはずです。
日本ミツバチ(昆虫)は『子供を守っている』
この動画を見てください。(見れない人もいるかも)
日本ミツバチの社会の定義はルールを守ることであるか?
この動画を見てみればわかりますが、子供を守っていますよね。
正しい社会の定義は何なのか?
私は命を守ることが社会だと思っています。特に子供の命を守る、守っていることが社会だと思っています。日本ミツバチのように。
社会の外の生き物は、子供を守る気が無いんです、守っている気が無いんです。大スズメバチは日本ミツバチの子供を守る気はありません。そりゃそうですよね。
子供を守っている気があるかどうか、これが社会の内側か外側かを見分ける踏み絵になるのです。仮にルールを守ることが社会であるとすると、子供を守る気の無い生き物が社会の内側に侵入できるようになってしまいます。
社会では無いものを社会だと思わせて社会を消滅させる
ルールを守っていれば自分が良い蜂だと思っている蜂
仮に「ルールを守ることが社会」と思っている日本ミツバチの働き蜂しかいなかったとします。そのルールには「子供は守っていること」とは書いてありません。みんな「自由が素晴らしいんだ!私は誰にも縛られないんだ!好きな仕事をするんだ!」といって働き蜂全員がどこかに行ってしまいました。するとそのあいだに日本ミツバチの子供達は大スズメバチにさらわれてしまいました。戻ってきた働き蜂は言いました『犯人が悪い!許せない!自分達はルールを守っていた良い社会蜂であるのに!』と。
ルールを守ることがここの社会の定義であったために、この働き蜂の社会は、同じ失敗を何度も繰り返したそうです。
考えてみてください。そこに社会はあったのでしょうか?
実際に日本ミツバチで想像してみてくださいね。
そこに社会があると感じましたか?
もちろん私はそこに社会を感じません。
このように定義を変えることによって、社会が存在すると思わせておいて、社会を消滅させることが可能になるのです。
子供を守る気の無い蜂
もうひとつ例を出します。
大スズメバチが攻めてきました。でも子供を守ることが社会ではありません。とすると、日本ミツバチの子供を守ろうとせずに大スズメバチから逃げ出した働き蜂さえも、立派な社会の一員となってしまいます。
ここに社会はあるでしょうか?
世の中の不思議な動き
『子供を守ることが社会』という定義が教科書のどこにも書いてない
文部科学省の道徳のページだったと思いますが、人々が助け合うということは書いてあっても、『子供を守ることが社会』とは書いてないんです。『大人の仕事は子供を守ること』いう定義も書いてないはずです。教科書自体はチェックしてませんが、無いはずです。
教育とは何か。大人が子供に教えなければいけないことは何か。
それは『大人の仕事は子供を守ることで、あなたたちが大人になったら今度は子供を守る番です』ということです。ですが私はそのような授業を受けていません。
やたらと世の中にあふれてるルールを守れと言う圧力
やたらとあふれているでしょう?
学校でルールを守れ、交通ルールを守れ、スポーツマンシップを守れ。テレビからはコンプライアンスだと、やたらと決まり事を守れという言葉があふれている。
一方、子供を守っていようという言葉は?
ほとんど流れてきませんね。
子供が事件に巻き込まれて悲惨な目にあってもさっぱり流れてきません。
学校で習ったように今の日本は「ルールを守ることが社会」だと定義されているため、『子供を守ってよう・命を守ってよう』という言葉はほとんど流れてこないのに、ルールを守るべきだという考え方は異様に流れてくるのです。
学校の先生の価値観はルールを守ることが社会
先生の正体は子供が命を落とした時にわかる
これはある女子高校生が部活動の帰りに、暗くなった帰り道を一人で下校中に襲われ命を落とした事件の学校の校長のコメントです。
子供が犠牲になったときに学校の先生の考え方が分かります。
『子供を守ることが社会である』、もしくは『子供を守ることが大人の仕事である』という思想であった場合は、子供を守れなかった自分を責めるのです。学校の先生は直接親御さんから子供を預かっていて、その仕事ができなかったわけですから。
学校の先生は『子供の命を守ることが社会』だとは思ってない
でも他の事件のニュースをみていても、学校の先生は責任を感じていません。いつも『どうして?なぜ?わからない、悲しい、辛い、犯人を許せない!』というコメント出しますから見ていてください。学校の先生は子供が命を落としたことに関して責任を感じていないのです。
それはなぜか?
ルールを守ることが社会だと思っているからです
先生はルールを守っていた自分は良い人間、でも犯人はルールを破った、だから悪い人間。こういう思考でいるのです。当然ですよね、学校で教える価値観がそうなっているのですから。
子供の命に対して無責任な先生方
学校の先生は子供達の命に対して無責任なのです。なぜ暗くなるまで部活動をさせていたのか?どうして女の子が暗くなってから一人歩きをしているのか?どうしてその危険性を女の子に伝えることができなかったのか?
ルールを守ることが社会で、自分は良い人間だと思っているから、先生はこういうことに考えがいきません。
だから女の子が犠牲になり続けるのは当然のことなのです。問題が放置されてしまうのですから。
今社会が消滅していることに気付いていない女の子が命を落としています
ルールを守ることが社会という定義によって、先生達は守られます。善人面をし続けます。日本の女性が自分の命をかけて産んだ命が失われているのにかかわらず。
実は学校の先生は良い人達では無いんです。日本の女の子たちを壊れても良い(守られない)存在にして外国人に売っています。学校教育をみればわかります。そうなっているでしょう?
学校の先生方は子供を守ることが社会だと思っていない社会の外の人間ですから、女の子達が売られてしまうのです。